【第4回】サッカーワールドカップ玉手箱

サッカーワールドカップ玉手箱も第4回になり、
21世紀に入ってからのワールドカップを語りたいと思います。

21世紀最初のワールドカップは、1986年に当時のFIFA会長ジョアン・アベランジェがアジア・アフリカでの開催案を打ち出しました。

その提案に日本サッカー協会は真っ先に名乗りを上げ、1991年から招致活動を開始しました。
これを知った韓国は1993年に立候補を表明、日本の招致活動に対抗したのです。

両国のあまりに熾烈な戦いに甲乙つけ難くなったFIFAは、
ワールドカップ史上初めて2か国の共同開催を提案、
日韓両国がこの提案を受け入れる形で開催が決定したのです。

前例の無かった共同開催では、いろいろな面で日韓両国がぶつかりました。
まずは、大会の呼称ですが、当初提案されたアルファベット順に国名を並べる
「2002 FIFA World Cup Japan/Korea」という呼称に韓国が猛反発、
最終的に「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」に決まりました(写真1)。

(写真1)2002年日韓共催ワールドカップのロゴはKorea/Japan

その代わり、最も重要な試合である決勝は日本の今の日産スタジアム(当時の横浜国際総合競技場)で行うことが決められました(ただし開会式はソウル)。
さて、共同開催とはいえ初めての自国開催でのワールドカップで好成績を得るために、
日本サッカー協会は再び外国人監督フィリップ・トルシエを招聘しました。

戦術に関してはフラットスリーと呼ばれる新しいシステムを導入、
ワールドカップ前のアジアカップで優勝したり、本大会前年のコンフェデレーションカップでフランスに次いで準優勝したりするなど好成績をおさめました。

ところで、コンフェデレーションズカップでは準決勝までチームの中心だった中田英寿が決勝を欠場しました。当時中田が所属していたASローマのセリエA優勝を決める試合に出場するために、大会中にもかかわらず中田がイタリアに帰ってしまったからです。

トルシエ監督は選手を厳しく管理する監督でしたが、中田英寿だけはその管理下に置くことは難しかったのでしょうか。

話を元に戻し、日韓大会での日本代表の試合を振り返ってみましょう。
初戦は埼玉スタジアムでのベルギー戦でした。

私はこの試合に、当時小学校3年生だった次男を連れて観戦に行きました。
次男は小学校からサッカーを始めたのですが、生まれて初めてのサッカー観戦がワールドカップの日本戦という、なんともうらやましいサッカー小僧になったのでした。

試合は日本がベルギーに先制されますが、鈴木隆行(写真2)と稲本潤一のゴールで一時は逆点、
しかしその後追いつかれ2-2の引き分けでしたが、ワールドカップ史上初めて勝ち点を獲得することができました。

Embed from Getty Images (写真2)ベルギー戦、鈴木隆行の同点ゴール
横浜国際総合競技場で行われた第2戦、
ロシア相手に稲本潤一のオフサイドギリギリのシュートが決まり1-0(写真3)、
ついに日本はワールドカップ本大会での初勝利をあげました。

Embed from Getty Images (写真3)ロシア戦、稲本潤一の決勝ゴール

勢いに乗る日本は大阪の長井スタジアムで行われた1次リーグ最終戦でチュニジアを、
森島寛晃と中田英寿のゴール(写真4)で2-0と下し、何と1次リーグ首位通過で初の決勝トーナメントに駒を進めたのでした。

Embed from Getty Images (写真4)チュニジア戦、中田英寿のヘディングゴール
一方、共催国の韓国は、ポーランドに勝ち米国と引き分けた後の一次リーグ最終戦は、フィーゴ擁するポルトガルと対戦でした。

韓国は当時マンチェスターユナイテッドに所属していた朴智星のゴールで1-0とポルトガルを下し、難しいグループをこちらも1位通過で決勝トーナメントに進んだのでした。

1次リーグでの他国の試合で、最も印象に残っているのは、イングランド対アルゼンチン戦です。
1998年のフランス大会でも両国は対戦しました。

あの、マイケルオーウェン選手がワンダーゴールを決めた試合です。
イングランドはPK戦の末にアルゼンチンに敗れましたが、その試合で若きスター、デビッド・ベッカムはつまらない報復プレーで退場になり、母国イングランドのサポーターから10人の勇者と1人の愚か者(ベッカム)と揶揄されていました。

日韓大会では、その試合のリベンジをするチャンスがベッカムにめぐってきたのです。
この試合唯一の得点が、ベッカムのPKで決まりイングランドはアルゼンチンに勝利し、ベッカム自身も大声とともに名声を取り戻したのでした(写真5)。

Embed from Getty Images (写真5)イングランド対アルゼンチン戦でPKを決めた直後のデビッド・ベッカム

余談ですが、ベッカムは日韓大会の2か月くらい前に中足骨を骨折していました。
日韓大会への出場が危ぶまれましたが、低出力超音波装置と高濃度酸素カプセルで奇跡的な速さで骨折を治癒させていたことも整形外科の私にとっては実に感慨深いエピソードでした。

また、私はサッカーコーチたちのワールドカップ観戦ツアーに参加し、数試合を韓国で観戦する機会を得ました。その際、日本のコーチたちに交じって韓国のコーチのチームとの親善試合に参加させていただいたのですが、親善試合といえども日韓戦、相手チームの当たりは厳しくスライディングタックルもバンバンされました。

「代表チームの日韓戦はこんなもんじゃないんだろうなあ」などと考えながら真剣勝負したことを覚えています。しかし、試合後は大いに親睦を深めてきたことを付け加えておきます。

決勝トーナメント、日本代表は1回戦でトルコと対戦しましたが、0-1で敗れ大会から姿を消すことになりました。 初めて決勝トーナメントに進んだことは十分称賛に値する成果でしたが、共催国の韓国はその後驚異的な成績を収めました。

まずは1回戦で絶対に勝てないだろうと思われたイタリアを疑惑の判定に助けられながら安貞桓の決勝ゴールにより2-1で破ると、続く準々決勝もこれまた韓国びいきと判断されかねないいくつもの判定に助けられ、PK戦の末に無敵艦隊スペインをも破ってしまったのです。

準決勝ではドイツに敗れ、3位決定戦でもトルコに敗れた韓国でしたが、
熱狂的な「テーハミングク」と声をそろえた熱狂的なサポーターとともにアジア勢で初めてワールドカップベスト4という金字塔を打ち立てたのでした。

さて、決勝に勝ち上がったのはブラジルとドイツでした。最初にも述べたように、この試合は日本の横浜国際総合競技場で行われました。

この大会で数々のファインセーブを見せ続け、鉄壁を誇ったドイツGKのオリバー・カーンでしたが、ブラジルのロナウドに2ゴールを許し(写真7)優勝トロフィーは前回決勝で敗れたブラジルが再び手にしたのでした。
Embed from Getty Images (写真7)ロナウドがカーンのゴールを2度破り、2-0でブラジルが勝利し、優勝した。
自国開催のワールドカップが終了し一息つく間もなく、2006年のドイツ大会に向けて日本代表は監督にあの神様ジーコを迎えました。
ジーコジャパンはアジアカップで連覇を果たし、順調にワールドカップアジア予選も勝ち抜きドイツでの本大会に駒を進めました。

1次リーグの組み合わせは、何と王国ブラジルと同組、しかし他の2か国はクロアチアとオーストラリア、
私はブラジルには負けてもオーストラリアには絶対に勝ち、クロアチアにもあわよくば勝つ、最低でも引き分けなどという星勘定をしたものでした。

そして、当時サッカーファミリー(サッカーに関する仕事をしている人のグループ:選手、指導者、ドクター、トレーナーなど)の抽選枠で応募した日本戦3試合すべてに当選した私は、
職場をクビになる覚悟で約2週間の休暇をとってドイツまで観戦に行ったのであります(ありがたいことに帰国後も職を失わずに済みました)。

第1戦は必勝で臨んだオーストラリア戦、前半中村俊輔のラッキーなFKが得点となり日本は1-0でリード(写真8)、

このまま勝ち点3をと意気込んだ後半戦でしたが、前回大会で韓国を4位に導いたヒディング監督が交代選手を上手く使ったオーストラリアは後半2点を入れて逆転してしまいました。
そのまま日本はグループリーグで唯一勝てると考えていたオーストラリアに敗れ、私を含めた日本のサポーターは初戦にして絶望的な気分に突き落とされてしまったのでした。
Embed from Getty Images (写真8)ドイツ大会:1次リーグ初戦で日本のラッキー先制点が決まる
次の日本戦までの数日間、楽しいドイツ観光のはずでしたが、ハイデルベルグなどの美しい街並みを見ても、美味しいはずのドイツビールを飲んでも心の底から楽しめなかったことが今となってはとても残念です。

第2戦のクロアチア戦の会場は、城壁の町ニュルンベルグでした。なんとそこで偶然にも知っている日本人3人に別々に会ったのには驚きました。明日は敵になるクロアチアサポーターと偶然出会った3人を加えたわれわれ日本人サポーターとは今夜は友達、試合の前夜祭では大いに盛り上がりました。

しかし、試合ではまたしても勝利することはできませんでした。
ハイライトはGK川口がPKを止めた時くらいで、FW柳澤がイージーなシュートを外すなど全体的には低調な試合で、結果は引き分けでした。

これで、日本は最終戦でブラジルに勝たなければ決勝トーナメントには進めないという状況に陥ってしまいました。ドルトムントで行われたブラジル戦、玉田の先制点(写真9)で日本が1点を先制した時は、奇跡が起きるのかと期待してしまいましたが、終わってみれば1-4の敗戦、王国の牙城はそんなに甘いものではありませんでした。
Embed from Getty Images (写真9)ブラジル戦で先制点を入れた玉田
ブラジル戦の後、グラウンドに倒れこんでしまった中田英寿(写真9)とともに私のドイツ大会は終わってしまいましたが、大会は決勝トーナメント。本当の闘いはここからです。

Embed from Getty Images (写真10)ブラジル戦の後の中田英寿
準々決勝では前回優勝のブラジルがフランスに敗れ、準決勝では開催国のドイツがイタリアに敗れました。結局決勝はイタリア対フランス、ヨーロッパ勢同士の試合になりました。

ファビオ・カンナバーロやGKジャンルイジ・ブッフォンを擁するイタリアと前回大会は1次リーグで敗退したジネディーヌ・ジダン擁するフランスの試合は、1-1のまま延長戦に突入しました。ここで、現役最後のワールドカップと表明していたジダンがイタリアのマテラッツイに何と頭突きを見舞って一発退場というショッキングな事件が起こりました(写真11)。

Embed from Getty Images (写真11)ジダン頭突きで1発レッドカード。
ジダン退場後もフランスは頑張り何とかPK戦に持ち込みましたが、最後はこれまでPK戦で数々の苦杯を飲まされてきたイタリアが今度は勝利し、通算4度目のワールドカップ優勝という栄冠に輝いたのでした。

現在ロシア大会が開幕し、世界の目はロシアに注がれている毎日ですが、
次回でワールドカップ玉手箱もいよいよ最終回になります。
直近の過去2大会、2010年の南アフリカ大会と2014年のブラジル大会を振り返ります。