【第3回】サッカーワールドカップ玉手箱(1994年/1998年)

サッカーワールドカップ玉手箱も第3回を数えます。
第3回は1994年と1998年の日本にとって極めて想い出深い2大会を振り返りたいと思います。

1994年のワールドカップは初めて南米(メキシコは厳密には北米大陸に位置しますが、サッカー文化は南米に近いものがあります)とヨーロッパ以外の大陸の国、アメリカ合衆国(以下米国)で開催されました。

1990年代に入り、将来のプロ化を目指していた日本代表は、
初めて外国人監督ハンス・オフトを招聘し、是が非でも本大会出場をはたしたいと強化を進めました。

キングカズこと三浦知良やカリオカ・ラモス瑠偉らを擁する日本代表チームは過去最強と評価され、
実際予選2年前のアジアカップに初優勝するなど実績も重ね、
この大会の予選でもアジア最終予選に駒を進めました。

UAEのドーハで行われたアジア最終予選、1試合を残し日本は5か国中、首位にたっていました。
最終戦はすでに本大会出場が絶望となっていたイラク戦、
勝てばワールドカップ初出場が決まる日本はカズとゴン中山のゴールで
2-1とリードしたまま後半ロスタイムを迎えます。

しかし、ここでイラクのショートコーナーからカズが軽くかわされあげられたクロスボールに、
イラクのオムラムがヘディングシュート!

ゴールキーパー松永もなすすべなくただただ見送ったボールは無情にも日本ゴールへ。
そう、これがあのドーハの悲劇です(写真1)。

(写真1)ドーハの悲劇
あとワンプレーで本大会出場というところまでたどり着きながら、 またしても日本はワールドカップ本大会出場の夢を絶たれ、 結局アジアからはサウジアラビアと韓国が出場したのでした。

米国での本大会にアジアから出場した2か国の内、韓国は1次リーグで敗退しましたが、サウジアラビアは同国最高のパフォーマンスを発揮しベスト16に進出しました。

なかでもベルギー戦で見せたオワイラン(写真2)のハーフライン手前からの5人抜きドリブルシュートはマラドーナの伝説の5人抜きにも匹敵する素晴らしいゴールでした。

(写真2)サウジアラビアのオワイランのベルギー戦での5人抜き60mドリブルシュート決まる!
この大会の1次リーグでは、もう一つ衝撃的な事件がありました。
優勝候補の一角と目されていたコロンビアが格下と思われた米国に1-2と敗れただけでなく、この試合でオウンゴールを米国に献上したコロンビア代表のディフェンダー、エスコバル選手(写真3)が1次リーグで敗退して帰国後、何と自国で射殺されてしまうというワールドカップ史上最悪の悲劇が起こったのです。

この事件は、世界中に衝撃を与えました。

(写真3)1次リーグ敗退後、自国で射殺されたコロンビア代表、エスコバル選手

スポーツの世界では、決してあってはならないことでした。
こうした悲劇がありましたが、大会は開催国米国が決勝トーナメントに進むなど明るい話題もある中で北米大陸初(メキシコは除く)のワールドカップも決勝戦を迎えました。

決勝はブラジル対イタリア、1970年の決勝と同じ組み合わせでしたが、この時は接戦となりました。激戦は延長でも決着がつかず、ワールドカップ史上初めてPK戦で優勝を競うことになりました。

ここで何とイタリアのエース、ロベルトバッジョがPKをゴールのはるか上にはずして万事休す(写真4)、またしてもイタリアは決勝でブラジルの前に涙を飲んだのでした。

この時のブラジル代表の主将ドウンガ(写真5)は
後にJリーグジュビロ磐田で大活躍することになります。

(写真4)PKを外して優勝を逃し、肩を落とすロベルトバッジョ

(写真5)優勝してトロフィーをかかげるブラジル代表のドウンガ主将

1998年のフランス大会、この大会の予選で日本はようやく歓喜の瞬間を迎えることになります。

そうです!
日本が悲願のワールドカップ初出場を達成したあのフランスワールドカップです。
しかし、その道のりRoad to Franceは決して楽なものではありませんでした。

1997年9月に始まったアジア最終予選、初戦こそカズの4ゴールでウズベキスタンに快勝した日本でしたが、UAEとのアウェー戦を何とか引き分け迎えたホーム国立競技場での第3戦は韓国戦、日本は山口の芸術的なループシュートで先制しながらも逆転され、またしても韓国に1-2で敗れてしまいました。

そして次戦のカザフスタン戦で先制しながら終了間際に追いつかれ窮地に立った日本代表は、加茂監督を更迭し岡田武史コーチを監督に昇格させたのでした。

岡田監督に交代後も、日本代表の戦いは苦戦続きでした。
岡田ジャパンの初戦ウズベキスタン戦は0-1で敗色濃厚でしたが、終了間際に非常にラッキーなゴールが決まり首の皮1枚がつながった感じでした。

次のホームUAE戦、その時点でグループ3位だった日本は勝てば自力2位でプレーオフ圏内に滑り込める重要な試合でしたが、またしても先制しながら同点ゴールを決められ引き分け、何と不調のカズに観客からイスが投げつけられるという事件も起こりました。

絶体絶命の日本代表は次にアウェーで韓国戦を迎えることになりました。ここでラッキーだったのは韓国がすでにダントツで予選突破を決めていたことでした。モチベーションの低い韓国を2-0で破った日本は、ホームの最終戦でもカザフスタン5-1と一蹴しイランとの第3代表決定戦へと駒を進めることができました。

そして、マレーシアのジョホールバルでの最終決戦、日本代表にはカズや中山の他に次の世代のスーパースターになる中田英寿の姿がありました(写真6)。

(写真6)ジョホールバルでの最終決戦に臨んだ日本代表
試合内容はご存知の方も多いと思います。ゴン中山のゴールで先制した日本でしたが、その後逆転され、キングカズに交代した城 影二が同点ヘッドを決め延長戦へ。

延長戦から起用された犬より速い岡野がさんざんチャンスをつぶした後、中田英寿のミドルシュートをイランゴールキーパーがはじいたところをすべる必要の無いスライディングシュート! Goal!!

これが、日本サッカー界悲願のワールドカップ本大会初出場を決めたジョホールバルの歓喜(写真7)です。
(写真7)ジョホールバルの歓喜
初めての本大会出場を決めた日本代表をフランスで観戦しようと多くの日本人が観戦ツアーに申し込みをしたり、チケットなしでも現地へ足を運んだりました。

私も多忙な身でありながらも観戦ツアーに申し込み、フランス行きを楽しみにしていたところ、あのチケット問題が起こりました。

ツアー会社が、予定していたチケットの多くを確保できなかったのです。 私もその被害者の一人になりました。

こうして日本代表が初めてワールドカップに出場したら、何らかの形で一緒にスタジアムで戦いたいと思い描いた私の夢はついえたのであります。

ただ、本大会は日本代表にとっては大きな壁でした。カズと北沢を最終メンバーからはずすという大きな決断をした岡田監督でしたが、1次リーグの3試合を全敗し敗退してしまいました。

まだまだ日本のレベルでは本大会を戦えないんだと思い知らされたことを思い出します。

ついつい日本代表のことばかり語ってしまいましたが、フランス大会もいくつも名勝負がありました。

決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン2-2イングランド(この試合でイングランドの18歳、マイケルオーウェンが放ったドリブルシュートはあまりにも見事で、後にワンダーボーイと言われるきっかけとなったゴールでした(写真8))とフランス0-0イタリアはいずれもPK戦にもつれこむ激戦でしたが、アルゼンチンとフランスが勝ち上がりました。

(写真8)マイケルオーウェンのワンダーシュート
その後、アルゼンチンもブラジルに敗れ、決勝は準決勝でオランダを破ったブラジルとクロアチアを破ったフランスの対戦となりました。

この試合で先制点をヘッドで決めるなど(写真9)、ジネディーヌ・ジダンが活躍したフランスは2-0でブラジルを下し、自国開催で初優勝という栄光に浸ったのでした。

(写真9)フランス大会決勝、ジダンの先制ヘッド!
(写真10)フランスは自国開催で初優勝、トロフィーをかかげるジダン。
次回のワールドカップ玉手箱は、日本と韓国がアジア初の開催をめぐってし烈な招致合戦を繰り広げ、結局は共同開催という妥協案を受け入れた日韓大会から語りたいと思います。