【第2回】サッカーワールドカップ玉手箱(1980年代)

サッカーワールドカップ玉手箱、第2回は1982年から1990年までを振り返りたいと思います。
1982年のワールドカップはスペインで開催されました。

前回までのワールドカップと大きく違ったのは、
参加国がそれまでの16か国から24か国に増えたことでした。

大会のレギュレーションも前回までのそれとは大きく変わりました。
1次リーグを勝ち進んだ12か国が3か国ずつリーグ戦を行い、
それぞれの首位チームが準決勝を行うという方式でした。

私にとって、この大会で最もインパクトを与えてくれたのは、
黄金のカルテットと呼ばれた4人のブラジル代表ミッドフィールダーでした。

(写真1)ブラジルの黄金のカルテットの一人、ご存知ジーコ
内訳はジーコ:後の日本代表監督、あの神様ジーコ(写真1)、ファルカン:後の日本代表監督、ソクラテス:なんと整形外科医、トニーニョセレーゾ:後の鹿島アントラーズ監督の4人です。

(写真2)イタリアのエースストライカー、パオロロッシ
(写真3)フランスの将軍、プラティニ
この大会で史上最強といわれたブラジルが、代表にぎりぎりに滑り込んだストライカー、パオロロッシ(写真2)にハットトリックを許してイタリアに敗れるとはだれも想像しませんでした。

こうして勢いに乗ったイタリアは、延長、PK戦の死闘の末に将軍プラティニ(写真3)擁するフランスに勝利した西ドイツを破って、とうとう優勝してしまったのでした。

また、若き日のアルゼンチン代表のマラドーナがブラジル戦でレッドカードをもらい失意のまま大会を去ったことが、次のワールドカップでの神がかり的な活躍の伏線だったことも忘れられない出来事でした。

(写真4)キャプテン翼こと、大空 翼
さて、これまで数回のワールドカップでは残念ながら日本代表は蚊帳の外、全く話題に上ることはありませんでしたが、実はこのころから国内では第二次サッカーブームが起こり始めていました。

それの火付け人が、今や世界のスーパースターたちも子供の頃必ずあこがれた存在となった大空 翼、そうキャプテン翼(写真4)です。

1981年にキャプテン翼の連載が始まると、少年サッカーチームに所属する少年少女が瞬く間に増えていきました。

その中から、将来の日本代表や世界のスター選手が生まれたことはとても有名な話です。

こうしたブームの中で行われた1986年のメキシコワールドカップ予選は、日本代表がそれまでで最も本大会出場に近づいた予選でした。

1985年秋に行われたワールドカップアジア最終予選、満員の旧国立競技場で行われた日本対韓国戦は今も名勝負の一つとして語り継がれる試合となりました。

0-2でリードされた日本でしたが、木村和司の伝説のフリーキック(写真5)が決まり1-2となったときはスタジアムの興奮は絶頂に達しました。

(写真5)木村和司の伝説のフリーキック
当時、若手医師であった私も、その日ばかりは当直を断り、木村選手がフリーキックを決めたゴール裏で観戦していたことを今でもよく覚えています。

しかし、残念ながら日本は韓国に敗れ、またもや本大会出場を果たすことはできませんでした。

メキシコで行われた本大会も名勝負の連続でした。
特に、アルゼンチン対イングランド戦のご存知マラドーナによる神の手ゴール(写真6)、そしてハーフラインからの伝説の5人抜き(写真7)は今でも語り草になっている印象に残るシーンでした。

(写真6)アルゼンチン対イングランド、マラドーナの神の手ゴール
(写真7)アルゼンチン対イングランド、マラドーナの伝説の5人抜きゴール

マラドーナのアルゼンチンは、そのまま決勝でも西ドイツを破り優勝してしまいました。
まさにこの大会は、神の手を持つ神の子マラドーナの大会だったと言えましょう。

1990年のワールドカップはイタリアで開催されました。
前回大会であと一歩のところまで迫った日本代表でしたが、この大会では再び1次予選で敗退でした。

本大会の開幕戦でいきなりアフリカのカメルーンが前回優勝国のアルゼンチンに1-0で勝利するという波乱の幕開けだったこの大会は、一次リーグは引き分けねらいの凡戦が続いたことを覚えています。

それでも決勝トーナメントに入ってからは西ドイツ2-1オランダ、イングランド3-2カメルーンなど手に汗握る名勝負もありました。

当時オランダには、ルート・フリット、マルコ・ファンバステン、ライカールトなどの個性ある名選手(写真8)がそろっていましたし、イングランドにはフェアプレーのストライカー、リネカー(写真9)、カメルーンには38歳のロジェ・ミラがいたと記憶しています。

(写真8)個性あふれるオランダ代表(後列右から2人目フリット、3人目ファンバステン、5人目ライカールト
(写真9)選手時代、一度もイエローカードをもらったことがないと言われたイングランドのストライカー、ゲーリー・リネカー

私はすごく忙しい病院に勤務していたのですが、夜中の当直室で患者さんが来ないことを祈りながらテレビにかじりついていたことを覚えています。

しかし、西ドイツ対アルゼンチンの決勝は凡戦でした。
マラドーナは健在でしたが、累積カードで出場停止が重なったアルゼンチンは点差こそ0-1の1点差でしたが、試合内容では西ドイツになすすべなく敗れてしまいました。

この大会の後、本大会が初めて米国で開催されることになります。 それまで、南米とヨーロッパでの交互開催だったワールドカップ本大会が初めて他の大陸で開催されることになるわけですが、その予選で日本はとてつもない悲劇に出くわすことになります。 その話は、次回をご期待ください。